ラブレター

各々の「表現」を、生きるための手段なんて言うと少し大げさに聞こえるかもしれないけれど、実際、生きていくためにはそれが必要なのだと思うこともある。

私は文章が特別に上手いわけではない、まあ十数年も二次創作小説を書いているのだからそうでない人と比べればちょっとばかり得意かもしれないけれど、文筆業で生計を立てようと思えるほど光るものを持っているわけではなかった。ただ自分の感性を愛しているだけの、普通の人間だ。それでも、私は書かないと生きていけない人間なのかもしれないな、とここ数年で強く感じるようになってきた。

私はそれなりに社会性が終わっているので基本的に対人コミュニケーションは苦手だし、私を好いてくれている人のことだけ好きでいればいいと思っていて、人見知りで、そのくせ人間が好きだしひとりはさみしいと思っている。初めてメッセージをくれた人への返事を30分近くもかけて考えた結果、考えすぎて簡素な返事しかできなくなるような自分にうんざりしている。

言葉は難しい。伝えることは難しい。どんなに悩んでも、本当の気持ちを伝えるために適切な言葉なんてひとつも見つからない。

だから書くしかないんだろう、と思う。

言葉を尽くして伝わらないことが、書き連ねた行間にようやく表れてくる。言葉にしても伝わりきらないこと、言葉と言葉の間にあるなにか、それこそが私が一番伝えたいことなのかもしれない、と思う。

私は私の感性が好きで、自分の書いた文章が大好きだけど、それはやっぱり文章の行間に込めたものでしか自分の気持ちが伝えられないからなんだろうな、と、最近は思ったりしている。もちろんそれは伝わったり伝わらなかったりするし、どれくらい伝わったのかもこちらからはよくわからないけれど、たまに私の文章を良いと伝えてくれる人がいるので(あなたのことを愛している)、きっとこれで良いんだろうと思うことにしている。

それで、一番言いたかったことはまだ残っていて、私にとっての「文章を書くこと」にあたる「表現」の方法は、一人ひとり違う。私は主に小説とブログとTwitterをやるけれど、詩歌をよむ人もいるし、評論や考察を書く人もいるし、絵を描く、写真を撮る、音楽を作る、歌をうたう、もちろん人と話すこと自体もそうだし、たぶんもっともっと色々な方法がある!うまく言いたいことを言えなくて生き苦しいと思っている側の人間にとって、少しでも自分をうまく伝えられる手段を持つことは多少なり救いになるかもしれないと、文章を書くことでしか伝えられない私は、最近、そう考えているよ。